OKStars インタビュー

Vol.206 映画監督

セシリア亜美 北島

OKStars Vol.206は、東日本大震災を受け、被災地のために立ち上がった95人もの日本で暮らすミャンマー難民の姿を追った映画『すぐそばにいたTOMODACHI』のセシリア亜美 北島監督のインタビューをお送りします。

監督とミャンマーの方々との接点は何だったでしょうか?

私自身がアルゼンチン生まれ・育ちということで、日本にいる外国人を取材したい気持ちからでした。ある時に新聞の記事で自分が難民であるということをあえて表明したミャンマーの方のことを知って、在日ミャンマー人のコミュニティーの中に入っていったのが最初の接点です。この『すぐそばにいたTOMODACHI』の制作よりも4、5年前のことです。

このミャンマー人らの被災地ボランティア活動を映像に撮ろうとしたきっかけは?

彼らのことは出会った頃から映像として撮りためていました。ただ、命からがら日本に逃がれてきている方や、正規のビザがない方もいて、その時はひとつの作品にするのが難しい状況でした。 そんな中で震災があって、95人もの在日ミャンマー人がボランティアに行くということになって、その一部始終を撮ることにしました。ただ被災地のことだけでなく、これまでに撮りためてきた彼らの生活などの映像も使いました。皮肉なことですが、震災とこのボランティア活動があったので、彼らの暮らしや思いも表現することができました。

ミャンマー人の参加者の方々についてお聞かせください。

>東京周辺の方々が中心ですか?

そうですね。ミャンマー人が一番多いと言われているのが高田馬場で、ミャンマー料理のお店も多いです。実際、映画の中で被災地に出発するバスの待ち合わせ場所も高田馬場ですし、炊き出し用の食材も高田馬場のお店から調達していました。

>ボランティアに行くという話はどういったところから出てきたのでしょう。

ミャンマー人のコミュニティーは政治などいくつかの要素によってグループが分かれていますが、あるグループの会合で被災地に対して何かしたいという意見が上がって自然とまとまってきました。実際にボランティアに行ったGWの時期はボランティアが多くてむしろ自粛をと言われていたのでどうなんだろうと当時思いましたが、彼らは行くという決断を変えませんでしたので、私も同行してカメラを回そうと思いました。

>同行されていかがでしたか?

震災後1ヶ月半経っていましたので、がれきの処理は済んで山積みになっていました。ただ、津波の被害のあったところとないところが点在しているのが不思議でした。

>被災地での彼らの様子はいかがでしたか。

彼らも母国ではサイクロンなどの災害の経験がありました。今回、多賀城と石巻の2箇所に分かれましたが、どちらも、みんなどうにかしたいという気持ちでいたようです。

参加されたミャンマー人のみなさんの変化は?

彼らの変化、と言うよりも私自身が彼らから学ばされたのが、人のために助けるということでした。それがミャンマーの人たちにはとても自然なことなんです。日本人から「どうして被災地に行ってボランティアをするの?」と何度も聞かれたそうで、そのたびに「私たちにとっては当たり前だよ」と答えていたそうです。ミャンマーの文化・風習として困っている人がいたら助ける、というのが当たり前なんだということを知りました。

難民の問題についても映画の中で丹念に取材されていますが、監督はどうあればいいと思いますか?

難民という言葉からはどうしても難しいイメージがありますけれど、実際にはみなさん普通の人と変わらない方々なんです。ただ、就業に関してはミャンマー本国では大学の先生だったり、地位の高かった方が、日本では飲食店でのアルバイトくらいしか働くところがないんですね。働くチャンスが絶たれてしまうのはもったいないことですし、そこを改善すべきだと思います。今からでも遅くないので、ミャンマーの民主化が進んだ時に、彼らが帰国して国のために働けるためにも、そういうチャンスは広げるべきだと思います。

ミャンマーでは選挙が行われ、スー・チーさんも自宅軟禁から解放されるなど、変化の兆しがありますが、実際のところいかがでしょう?

少しずつ良い方に向かっているようですが、日本にいる方々がどうやったら帰国して働けるようになるのかについてはまだまだこれからですね。

>映画の中では「帰国したら逮捕されたり殺されることもある」とミャンマーの方が話されていました。

さすがにそういうことはなくなったようです。ですが、アメリカに逃れていた方がビザもきちんと取得して帰国したところ、入国させてもらえなかったという話もありますので、まだ100%ではないようですね。

いま活動されているミャンマーのみなさんは国に帰りたい気持ちなんでしょうか。

日本に逃れてきて、民主化デモを続けながら何年も過ぎていますが、ずっとその気持ちを持っていますね。一方で、だんだんとそれが現実になってくると、長い方では20年以上日本で暮らしていますので、実際その時にどうするのかは彼らは考えていると思います。

映画の中でお祭りのシーンがありましたが?

4月15日がお正月水かけ祭りというもので、毎年開催されています。昨年は震災があったので5月にやっていました。

監督ご自身のことをお聞きしますが、監督が映画表現と出会ったきっかけは?

大学在学中に、サークルで作っていた映像と音楽がかぶさった瞬間をみて、その表現力が自分のすべてを満たしてくれるものだと思いました。それがきっかけで自分が決めたテーマで表現するものは映画しかないと思って続けました。いったんは就職して働きながら学校に通ったり、映画を見ながら台本やカット割りなどを勉強し続けましたが、最後はそれまでの仕事を辞めて映画の世界に助監督として入りました。

最後にOKWaveユーザーにメッセージをお願いします。

この『すぐそばにいたTOMODACHI』は映画に関わる部分は自分ひとりでやりましたけれど、ミャンマー人の方々の惜しみのない助けがあったからできたので、映画の中にも彼らのことが投影できていると思います。
一見、難民という言葉が並んでしまうと難しいイメージがあると思いますが、日頃見ることができない彼らの助け合いの精神を見ることで、日本で失われつつあるものを失ってはならないし、彼らから学ぶことができると思います。自然な気持ちで観ていただきたいと思います。

OKWaveユーザーに質問!

今回ミャンマーからの難民を扱った映画ですが、
みなさんは、難民という言葉を聞くとどんなイメージがありますか?

Information

『すぐそばにいたTOMODACHI』
ヒューマン・シネマ・フェスティバル2012 supported by AEONにて上映!

2011年3月11日の東日本大震災を受け、被災地のために立ち上がったのは、95人もの日本で暮らすミャンマー難民だった。自分たちの生活もままならない中、それでも困っている人たちを助けたいと願う彼らの姿をカメラは追っていく。第6回UNHCR難民映画祭(2011年)オープニング作品。

(C) The Neighbourly TOMODACHI

予約方法(※入場無料):
・公式ウェブサイトの「専用予約フォーム」からオンライン予約
・フリーダイヤル 0120-540-732(月~土 10:00~18:00)
・上映劇場窓口での申込

公式ウェブサイト:http://humancinemafestival.org/

★ヒューマン・シネマ・フェスティバル2012 supported by AEON
2012年10月13日(土)より28日(日)までの土日開催
主催:特定非営利活動法人 国連UNHCR協会

世界には、紛争や迫害、自然災害により故郷を追われ、厳しい避難生活を必死に生き抜いている人たちがいます。
希望を捨てずに懸命に生きる彼らの姿は、家族や友人と過ごす時間がかけがえのないものであることをあらためて教えてくれるでしょう。
「知る」こと。それは、同じ地球に生きる人間として私たちにできる意味のある大きな一歩だと信じています。

上映作品:『未来を生きる君たちへ』(2010)、『灼熱の魂』(2010)、『すぐそばにいたTOMODACHI』(2011)

Profile

セシリア亜美 北島

アルゼンチン、ブエノスアイレス生まれ。
小学5年生で来日。
助監督、スクリプターを経て、短編『その手をください』制作。2009年、短編ドキュメンタリー『Voices of Migrants in Japan』を制作。
『すぐそばにいたTOMODACHI』は、第6回UNHCR難民映画祭のオープニング作品、2011年山形国際ドキュメンタリー映画祭の東日本大震災復興支援上映プロジェクト「ともにある Cinema with Us」にて上映。現在、『すぐそばにいたTOMODACHI』の続編プロジェクトが進行中。今後も世界を舞台にグローバルなテーマで映画制作に尽力する。

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