OKStars インタビュー

Vol.207 映画監督

舩橋淳

OKStars Vol.207は、東日本大震災による福島第一原発の事故により、町全体が丸ごと移住という事態となった福島県双葉町の避難所の姿を追ったドキュメンタリー映画『フタバから遠く離れて』の舩橋淳監督へのインタビューをお送りします!

震災とその後の原発事故の状況について当時、監督が感じていたことは?

クランクイン2週間前だった映画のロケ地が東日本大震災で被災して製作中止になってしまったんです。そんな状況だったので、TVの震災報道を見ていたら、情報の内外格差が気にかかりました。外国では、NRC(アメリカ合衆国原子力規制委員会)のWEBサイトやフランスのWEBサイトに放射能の拡散予測が出ていて、福島県を中心に東京も含め日本列島を広範に拡散していました。その時点の日本では、福島の避難区域は20キロ圏内で、健康被害はないと政府は言っていましたので、国内で流通している情報と海外での情報が全く違っていて、どちらが真実なのか分からないフラストレーションがありました。日に日に自分が放射能や原子力発電について知らなかったことを感じさせられる毎日でした。

では、『フタバから遠く離れて』映画製作のきっかけは?

僕自身が被曝2世で父や祖母から原爆の恐ろしさを聞かされてきました。一方で原発は核の平和利用なので軍事利用と全く違うとずっと言われてきましたが、原爆の恐ろしさと原発事故で撒き散らされる放射能は、被曝ということでは全く一緒なんです。そして被曝について日本人は全く分かっていない。情報が錯綜していて、どういった対策を取るのが良いのか、みんな違うことを言っていましたから。長期避難が必要なほどの事故はチェルノブイリ以来の2回目なので事例が少なすぎて、日本人は身を守る方法が全く分かっていませんでしたよね。政府は3キロ、10キロ、20キロと避難区域を広げていきました。一方でアメリカ政府は50マイル(80キロ)と言っていました。どれが正しいのかという論争もある中、3月31日に福島県の双葉町が埼玉県の廃校(※旧、騎西高校)に引っ越してきたというニュースを聞きました。双葉町から埼玉県は250キロ離れています。これはとても正しい判断のように思えました。最大で80キロと言ってる時に250キロですから。最も遠くに避難した町なので理性的な判断だと思って、この町に行ってみようと思いました。その時はまだ撮影しようと思う前で、行ってみて様々な方に会って話を聞くうちに日本の原子力行政の矛盾や成れの果てのようなものがこの避難所にあると思うようになって撮影を決めました。

その時の避難所はどんな様子でしたか?

4月上旬でしたけど、完全に混乱してました。みなさん着の身着のままですから、全国から支援物資が送られてきていて、おじいちゃんが若者が着るような服を着ていたり、似合う似合わないではなく、緊急モードという感じでした。そして彼らが自分たちで何かをすることも無理な状況に見えました。毎日出入りがあって、来る方、出ていく方がいて、当時は毎日マスコミも押し寄せるように来ていました。

どのように撮影しようと考えましたか?

ある問題が起きている時に、人々がどれだけつらい思いをしてるとかお金が足りてないとか、肉親を亡くしたとか、そういったことはジャーナリズムがやるものと思っていました。一方で言語で表現不可能な人間の業とか矛盾の塊を捉えるものがドキュメンタリーだと思っています。この原発事故も大きな矛盾を抱えていて、東京に住んでいる人間が福島第一原発で作られた電気を使い続けてきたわけです。僕も恥ずかしながら震災後に初めて知りました。双葉町の方々は東北電力の電気を使っているんです。もしかしたら自分が使っている電気でこの人たちが避難の憂き目に遭っているんじゃないかと、その点に納得しがたかったんです。自分がやったことで自分が罰を受けるのではなくて、もっと巨大な社会の矛盾がここにあると思いました。これはまさに日本の原発立地が抱える犠牲のシステムそのもの、リスクを地方に分散させるということで、もし事故が起きたら、地方の人が割を喰って、中央の人は割を喰わないシステムです。この時点で僕はそこまでは考えられませんでしたけど、何かおかしいとは思いました。自分が使っている電気のために違う人が避難している。ジャーナリズムは局所での情報伝達はやってくれるだろうとは思いましたので、もう少し大きな目線でこの矛盾について誰かが伝えなければならないだろうと考えて、この避難所に長く張り付いて見つめ直してみようとしました。

長期の撮影になることは想定していましたか?

当初から長期に渡るだろうと思っていましたし、状況もどんどん変わるだろうとも思っていました。「被災者」という言葉に如実に現れていますが、3.11後は津波の被害者も原発事故で避難している方もみんな被災者と呼ばれました。「被災者の方はみんな大変な目に遭われて」と同情の気持ちが込められているわけですが、この同情の気持ちは一時的なものです。阪神・淡路大震災の時のことを思い出しても、時間が経てば経つほど感情が風化していきましたので。長期的に考えると、津波の被害者の方と原発事故の被害者の方は全く違うんです。津波の被害者の方は、水が引けば家は流されて無くなってしまっていてもその土地には戻ることができます。原発事故の被害者はその土地には戻れません。今は最低5年と言われていますが、セシウムの半減期は30年と言われているので、おそらく5年では済まないんですね。長期避難が見えている時に、目の前の同情心がだんだんと無くなってくるにつれ、彼らには痛みとして降りかかってくると思いました。それを描くべきだと思いました。時間による苦しみを描くのはドキュメンタリーにできることだと思いましたので。

原発というものについて監督はどう考えていますか?

放射能は非人間的なものと考えていて、人間が捉えられないものです。目に見えない、臭わない、味はない、聞こえない。何も感じないですよね。何だか分からないけど影響されているらしい。単に焼けただけであれば跡地に再建できますけど、放射能の場合はずっとそこに有り続けるから再建もできない。セシウムは半減に30年といいますから人間の生活よりも長いスパンでそこに有り続けます。距離的にも時間的にどのくらい離れれば安全なのかがつかめないですし。そもそも人間科学の歴史は放射能に敗北し続けているような気がしていて、だけど人間はそれを認めたがってないように思います。

映画の中では原発問題を何らかの視点からというよりもありのままを提示していましたが、そのようにした理由は?

編集においてはできるだけ自分の主観を観る人に与えないように距離を置きました。そもそも、過去に原子力について撮られたドキュメンタリーにはろくなものがないんです。平和利用を謳うプロパガンダがたくさんあって、核の非人間性の話につながりますけど、人間は核のことをよく分かっていないのに、その時代に流通している有力な説に影響されているところがあります。戦後は、広島、長崎でつらい目に遭った日本だらかこそ原子力の平和利用で世界を良い世界にしていこう、と言われていました。オイルショックの時には石油が足りなくなるのでウランは次世代のエネルギー源だ、火力発電はもう古い、と言われました。80年代から90年代にかけては地球温暖化問題が出てきて、CO2を出す火力発電は地球にやさしくない、これからは原子力をクリーンエネルギーとして使わなければならないと。原子力を擁護する方法があの手この手で変わってきているんですね。それを今回自分が語る時に、今だったら「脱原発」のような考えがありますけど、それに影響された形で描くと、今から10年後、20年後に観た時に原子力の正体がもっと分かってきた時に脱原発という考え方も偏った見方になるかもしれないと思いました。自分が分からないものにカメラを向けることは僕自身とても好きなことですけど、その時に必要なのは節度です。分からないものに対してはなるべくオープンにして、観ている人に委ねる方法にして、分かるものだけを言う姿勢でいないといけないだろうと。この映画では時系列を守り、順番に物事を並べて、字幕でも事実だけ述べようとしました。何月何日何時に水素爆発が起きたとか、双葉町では原発の交付金をいくらもらっていた、というような事実だけを述べることにして、原子力をひとつの町が持ち、避難することなったということがどういうことなのかを我が事として観る人に感じてもらえないかと考えました。

カメラを廻す上で、規制のあった部分はありましたか?

最初は原子力安全・保安院(※現:原子力規制委員会)に警戒区域の撮影許可を取りにいきましたけど、あっけなくはねのけられました。原子力災害に関する法律で入れなかったのですけど、憲法には知る権利が保障されているので報道する権利もあるはずだと言って交渉しましたが許可は出ませんでした。政府も東電も見せたくないもの、知られたくないものにカメラが入るということを決して良しとはしませんでしたね。それと主要メディアも自社の社員を守るためという名目で最初のうちは中には入ろうとしませんでした。なので、国が「被害はこれだけです」と言っても、マスコミはその事実を自分の目では確かめていないわけです。報道機関がしっかり伝えていかないと警戒区域の中で何が隠蔽されているか誰にも分からないんです。事実、映画の中で映しましたけど、警戒区域で動物がたくさん死んで放置されていることも、報道機関が中に入れなかったことで、あまり伝えられていませんでした。だから自分でできる限り警戒区域内を撮影したいと思って、今回親しくなった双葉町の方の一時帰宅に同行させていただいて、一緒に入りました。

>双葉町の住民の方でなくても入れるものなんですか?

家族の代理として入ることができました。一時帰宅の際に重い荷物を運ぶためというような理由で、実際にそういう手伝いもしました。

>警戒区域内の様子はいかがでしたか?人がいない様子が想像できないのですが。

あれだけ広大な土地が日本で使えなくなっているんです。今でも避難が続いていますが、それがどれだけ続くか分かりません。避難費用は出ていますが、自分が持っていた土地や家への賠償は1年半経ってもまだなんです。これはすごく不公平な話ですね。東京で全く同じことが起きたと想像してください。都心で20キロ圏内に誰も入れなくなること自体ありえないと思いますが、本当にそういう事故が起きて入れなくなると企業の本社もたくさんありますからあっという間に多額の賠償請求となると思います。それが双葉町に対しては1年半ほったらかしなのは、分かっててやってるとしか思えないですね。待たせとけばいいだろうと。公害病訴訟等もそうでしたが地方の痛みを中央は感知しないという日本の歴史につながっている気がします。 少しでもそういったことに問題意識を持っている方にはぜひ観てほしいと思います。

坂本龍一さんがテーマ音楽を提供されてますが。

ニューヨークに10年住んでいた時に坂本龍一さんと知り合う機会がありました。震災後にメールで何度か話をさせていただいて、その後も「いま双葉町のことを撮影しているんです」という話をして、坂本さんから質問をいただたり、やり取りが続いていました。撮りためたものをまとめようと思っていた2011年12月16日に野田総理が原発事故収束宣言を出したことに、現実と政治が離れていると強く感じて、この宣言と避難所の現実を対比するような作りにしようと決めました。その後に坂本さんから曲を提供していただけることになりました。

ベルリン国際映画祭で上映されていますが、どんな感想をお聞きしましたか?

何で会議の冒頭で日本の大臣は帰るんだ?と言われました(笑)。何の意味があるんだとよく聞かれました。

監督ご自身の今後の展望などを。

まずはこの『フタバから遠く離れて』の続きを撮り続けます。
それと新作の恋愛映画『桜並木の満開の下』が釜山国際映画祭2012でワールドプレミア上映されました。臼田あさ美さんと三浦貴大さんの主演で、先ほどお話しした震災で中止になった映画ですけど運よく今年になって撮影できて完成しました。日本では2013年3月の公開予定です。
それと撮影記録の「フタバから遠く離れて―避難所からみた原発と日本社会」という書籍も書きましたので、映画公開と同日の10月13日に発売になります。

舩橋淳監督の映画作りの“モットー”をお聞かせください。

映画はそれまで作られた映画を更新するように作られないといけないと思います。時々、映画史は関係ない、自分の作品世界を作ればいいと言う人もいますが、僕は常に映画は進歩するものだと思っているので、それまであった映画を踏まえて次の映画があると思っています。映画史を無視しない映画が映画であって、そうでないものは映画ではないと思います。

最後に当インタビューを読んでいるOKWaveユーザーにメッセージをお願いします。

自分で電気を使っている方々で、避難されている方々が今でもいる、ということに何かしら矛盾や疑問を感じる方にはぜひ観てもらいたいと思います。それを考えるきっかけになると思います。

舩橋淳監督からOKWaveユーザーに「質問」をお願いします。

双葉町の騎西高校の避難所では、配られるお弁当が2012年9月1日から有料になりました。
それはいくらでしょうか?まずは関心を持っていただければと思います。

Information

『フタバから遠く離れて』2012年10月13日(土)よりオーディトリウム渋谷ほか全国順次ロードショー

福島第一原発の事故により、町全体が丸ごと移住という前代未聞の事態に直面した福島県双葉町。事故後、1,423人が約250キロ離れた埼玉県の旧騎西高校で避難生活を送るこの高校は、まさに現代のノアの方舟と化した。本作はその9ヶ月間に密着したドキュメンタリー。かつて原発により潤い栄えたとされる町の盛衰と、ある日突然、故郷を失った町民の日常を寄り添うように映し出す。監督の舩橋淳は図らずも広島の被曝二世にあたる。「双葉町の人々の現状を、世界の多くの人に見てほしい。彼らが定住できるようになるまで記録を続ける」との想いで本作を制作した。また、本作は今年2月のベルリン国際映画祭フォーラム部門にてプレミア上映され、全ての回が満席となるなど話題を呼んだ。同会場ではエンディングテーマ曲「for futaba」を書き下ろした音楽家・坂本龍一が登壇。「映画を見て双葉の人たちに感情移入して何度か泣いた。日本の原子力政策を変えたい。」と述べた。

製作・配給:ドキュメンタリージャパン、ビッグリバーフィルムズ
監督:舩橋淳
プロデューサー:橋本佳子
撮影:舩橋淳・山崎裕
音楽:鈴木治行
テーマ曲:坂本龍一

http://nuclearnation.jp/

(C) 2012 Documentary Japan, Big River Films

Profile

舩橋淳

映像作家。東京大学教養学部表象文化論分科卒後、ニューヨークで映画制作を学ぶ。
長篇映画『echoes』は仏アノネー国際映画祭で審査員特別賞、観客賞を受賞。第2作『BIG RIVER』(主演オダギリジョー、製作オフィス北野)はベルリン映画祭、釜山映画祭でプレミア上映される。またニューヨークと東京で時事問題を扱ったドキュメンタリーの監督も続けており、アルツハイマー病に関するドキュメンタリーで米テリー賞を受賞。今作の撮影過程を記録した著書「フタバから遠く離れて―避難所からみた原発と日本社会」(岩波書店)も出版。

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