OKStars インタビュー

Vol.221 映画監督

アミール・ナデリ

OKStars Vol.221にはイラン出身のアミール・ナデリ監督が登場!1985年ナント三大陸映画祭グランプリ獲得の映画史に残る名作『駆ける少年』についてのインタビューをお送りします!

『駆ける少年』を観てものすごいエネルギーを感じました。今このタイミングで日本公開されることについてのご感想は?

今公開する理由はたくさんあります。昨年『CUT』という映画を日本で作って、この映画を通じて日本人の俳優やスタッフと触れ合う機会がありました。また、20年前から日本映画を研究したり、ワークショップを開いたりもしていました。ですので『CUT』は日本の昔の映画や日本の文化へのオマージュということでもあったのです。 また、震災が起きて以来、日本全体が気持ち的に落ち込んでいるんじゃないかとも感じました。このタイミングで『駆ける少年』を公開できたら、わずかでもみんなを元気にできるんじゃないかと思いました。なぜなら、この『駆ける少年』はイラン・イラク戦争中に撮った映画で、当時のイランもやはり国中が元気がなかったりエネルギーがありませんでした。この映画を作った後、とくに子どもたちが映画を観てエネルギーをもらえたとか、チャレンジする気持ちになった、ということを聞いたので、もしかしたら今の日本で公開したら、当時のイランの子どもたちと同じ気持ちで立ち上がれるんじゃないかと思って、公開すべきだと考えました。

>観ていて奮い立つ気持ちになるのはそんな理由なんですね。

その通りです。気持ちを高揚させるために、今公開したかったのです。

駆ける、走る場面がたくさんあり印象的ですが、この走ることを描いた意図は?

走る、という行為はある地点からある地点まで辿り着くということ。目的があって、何かを手に入れたりすることです。走っていく、つまりチャレンジすることは、すべて意味があることなので、たくさん走るシーンを入れたのです。

最後の競争するシーンは人物の言葉を入れずに映像で見せていましたが、あの鮮烈な場面はどんな考えだったのでしょう。はじめから考えにあったのでしょうか。

『駆ける少年』は自分の自伝的な内容でもあり、全て自分の経験したことが元になっています。『駆ける少年』の脚本は初めから終わりまで書いていました。ですので、この競争をして氷を手に入れるということも子どもの頃に遊んでいたことなので、映画に入れることは決めていました。ただ、それをどうやって表現するかについては随分考えましたよ。20年考えたといっても過言ではないですね(笑)。このシーンは黒澤明監督の『七人の侍』の最後の戦いの影響ですね。撮り方や編集の仕方など、黒澤明監督の作品から随分学びましたよ。でも『七人の侍』は雨で、こちらは火でしたけどね(笑)。
この映画を作る時には3人の日本人の映画監督に捧げようと考えていました。走るシーンやエネルギーを感じさせるシーンはすべて黒澤明監督です。黒澤明監督の『蜘蛛巣城』からは望遠レンズを使った撮り方を学びました。人物をカメラが追いかけるところはすべて溝口健二監督からです。主人公アミルが自分の住処で独りでいるシーンは小津安二郎監督の人物と距離感をとる撮影手法からです。ですので、自分の経験と日本の文化が編み合わさった映画でもあると思います。

>不思議と親しみやすい映像だと感じたのはそういう理由だったんですね!

この映画は1985年に作りましたけど、当時、まさか日本で公開されることになるとは夢にも思いませんでした。日本とこうやって通じ合えるようになるとも思いませんでしたが、よくよく考えてみると、芸術は作り手の心から溢れだすと、観る側にも染み渡るものなのです。最近、様々な方に話していますけど、木下恵介監督の『二十四の瞳』とこの『駆ける少年』をセットで日本全国で上映したら、みんな再びエネルギーが溢れだすのではないかと思います。どちらも人生における愛や、どのような場面でも何かを乗り越えていくことをテーマにした映画ですので、今の日本で公開したいのです。

『駆ける少年』には監督自身の体験が反映されているということで、それを描こうと思ったきっかけはどんなところだったのでしょう。

当時はイラン・イラク戦争の最中で、自分の生まれ育った町さえも空襲で燃えて無くなってしまうような状況でした。ですのできっかけは自分の思い出が無くなってしまうことに対する残したいという気持ちでした。また、戦争で親を亡くした子どもたちもたくさんいて、子どもたちから希望やエネルギーが失われていました。ですので幼ない頃の私自身が乗り越えてきた体験を描くことで何かを与えることができるのではないかと思いました。自分の期待通りに映画を観た方からはエネルギーをもらったという声を聞くことができたし、その後から生まれてくる子どもたちの名前に主人公のアミルという名前が増えたということからも、この映画がもたらした影響は大きかったと思います。
自分が子どもの頃に過ごした町は、まさに戦場だったので撮影できませんでした。私の思い出を再現するため、11カ所のロケーションを組み合わせて私の町として撮ったんです。だから映画の中で見られるあの町は実際には存在しない町なんです。
一番大変だったのは、そういう状況で子どもたちを預っていたので、子どもたちの命を守るということでした。子どもたちとは4ヶ月間撮影を続けましたが、親猫が子猫をくわえて移動するように、イラン国内あちこちを移動して撮影しました。戦争はどんどん広がっていくので、1キロ離れた場所が戦場だったり、前日に撮影していた場所が翌日には戦場になっていたり、何が起こるか分かりませんでした。自分の思い出の場所は日々壊されましたが、この『駆ける少年』は思い出を残していく、作っていく作業でした。映画の中で町をもう1度作って、将来の子どもたちに残していこうという作業でした。

この『駆ける少年』の撮影から今日までで思い出深い出来事は?

この映画が完成して、イラン国内で公開するかどうかという時期に私はイランを出国しました。ですから残念ながらイラン人のみんなと一緒に映画を観たり、その場で感想を聞いてはいないのです。完成から20年以上が過ぎて、日本のスクリーンでようやく観客と一緒に観ることができるのです。ただ、この映画が知られるようになるにつれ、「この映画を観て自分も監督になろうと決めました」という感想を若い映画監督たちから何度も聞くようになりました。個人的に一番嬉しかったのは、自分はその場に居合わせませんでしたが、ロンドンでスタンリー・キューブリックが観てくれたということです。
『駆ける少年』を作るきっかけは先ほど話した通りですが、この映画がどういう道を歩んでいくのかは想像できませんでした。こうして様々な人に影響を与えて、この映画を入口に映画監督になった人がたくさんいることも、後から知ったことですが嬉しいことですね。

イランを離れた後、アメリカに住んでハリウッド映画も作り、そして今は日本に住んでいるということについて、日本にいる理由、は何でしょうか。

私は日本に来てませんよ、日本が私を引っ張ってきたのです(笑)。日本に来て『CUT』を作りましたし、それ以前にも日本映画の研究をしていましたが、アメリカに住んでいる時は、アメリカは駅のようなもので、電車を待っているような気分でした。その電車に乗ってたどり着いたのが日本なのではないかと今はそう思っているんです。日本では脚本を執筆中で、また日本で映画を撮りたいと思っていますが、日本にいるとなぜかは分かりませんがとても落ち着くのです。昔からいたような感覚なので、自分にとって外国という感じがしないのです。ただ、日本では難しいことも多くて、とくに映画の資本集めは大変です。それと日本はルーツが重く深い国なので、突然日本に来ても馴染めないと思っていました。何回も日本とアメリカを往復し、ある時ようやく日本にいられると感じられるようになりました。アメリカでのキャリアにも満足していますけど、最後の駅は日本だと感じています。
それと「東京フィルメックス」には何回も参加しているので、「東京フィルメックス」には感謝しているし、自分の故郷のようにも感じています。イランからアメリカに渡った時は大変でした。アメリカは多様な文化で様々な人がいました。1つのルーツが深い国であるイランからアメリカに行くとその点が大きく違うんです。ですが、日本はイランと同じで1つの文化をしっかり持っているので、イランから日本というのはすごく楽なんです。だから自分の国のように感じるんです。

>『CUT』を観た時には、日本映画への造詣や愛が深いなぁと、一観客として感じていたのですが、こんなに深いつながりがあったのですね。

『CUT』は自分にとって単なる作品ではないんです。自分の新しい人生なんですよ。様々な映画を作ってきましたけど、私は自分が経験していないものは作らないので、イランにいてもアメリカにいても経験しているものがベースになっています。『CUT』は自分の知っている日本映画についての知識、日本の文化に関する知識から作られているんです。心をこめて作ったし、自分の全てを出し尽くしました。だから観る側は心地よくいられるのではないかと思います。また、『CUT』主演の西島秀俊さんにはすごく感謝しています。彼は自分の命をかけるくらいに心をこめて協力してくれたからです。大変な現場を共にしたスタッフ全員にも感謝しています。彼らがいなければあの映画は作れなかった。こうしなさいという指示ではなく、心の中にあるものを出せる道を作ってくれたのがみんなだったのです。

幼い頃から映画に魅せられていたそうですが、映画のどんなところに惹かれたのでしょう?

自分が生まれ育った町はとても暑いところでした。『CUT』で西島さん演じる秀二が映画を上映していたようなオープンシネマが家のすぐ側にある環境でした。暑い夏は涼しい屋根裏で寝るので、寝ながらシネマから流れてくる音を聞いたり、背伸びをすればスクリーンの一部も見えたので、それらが子守唄のようなものでした。雨が降ると屋根裏から部屋に降りなくてはいけなくて、そうすると映画の音が聞こえないから寝心地が悪い。もうその時から映画がなくてはだめだったんですね(笑)。『駆ける少年』のアミルのように学校への進学も遅かったですけど、映画を観たり、映画館で働いていたので、人生の全てを映画と映画館で学んだ子どもでしたね。

監督にとって映画を撮る一番のモチベーションは何でしょうか?

モチベーションは突然頭の中に湧き出るものではなく、経験してきたことや思い出の中にあるものが映画のきっかけです。ただ、自分の中で怒りを感じる時がもっともパーソナルな映画を作ることができる時です。『CUT』がまさしくそうです。映画を取り巻く環境が悪くなっていて、若い監督たちが映画を作れない、作っても見せられる場所がない、そういう状況にイライラして作ったんです。

アミール・ナデリ監督の“モットー”をお聞かせください。

新しいものを発見したり、経験していくことです。日本に来たら、何もかもが新鮮ですからね。だから新しい世界の窓が開いた気分です。自分は3回生まれたと思います。イラン、アメリカ、そして日本。自分はアメリカ市民ですけど、自分の家は日本にあると思っていますし、他の国に行って撮影しても日本で編集などをすると思います。

では最後にOKWaveユーザーにメッセージをお願いします。

この90分の映画を観れば絶対、自分の様々なことを思い出したり、エネルギーをもらったり、前向きになって、映画館を出た時には好きなことや手に入れたいものの方に向かって走っていけるのではないかと思います。私にはそのことが分かっていますので、ぜひ映画館に観に来てください。

アミール・ナデリ監督からOKWaveユーザーに質問!

私は日本でもう1本日本映画を作るチャンスをもらえるのでしょうか?
撮ってもよいでしょうか?

Information

『駆ける少年』
2012年12月22日(土)より、オーディトリウム渋谷にて全国順次ロードショー!

監督・脚本:アミール・ナデリ
撮影:フィールーズ・マレクザデエ(A.キアロスタミ『トラベラー』)
編集:バハラム・ベイザイ(『バシュー/小さな異邦人』『トラベラーズ』監督)
製作:児童青少年知育協会(『友だちのうちはどこ?』)
配給・宣伝:『駆ける少年』上映委員会

http://runner-movie.net/

(C)kanoon

Profile

アミール・ナデリ(Amir Naderi)

1945年8月15日、イランのペルシャ湾岸の都市アバダンに生まれる。
アッバス・キアロスタミとともに児童青少年知育協会に所属し、イラン映画が国際的に脚光を浴びるきっかけを作ったイランを代表する巨匠。映画監督になりたくて、12歳でテヘランに上京。映画製作会社のティーボーイから始め、制作部の雑用係、そしてスチールカメラマンを経て、1970年「さらば友よ」でいきなり監督デビューし、一躍脚光を浴びる。『ハーモニカ』(74)はイスラム革命前のイラン映画の傑作の一つとして知られている。若い頃からハリウッドで映画監督になる夢を抱いており、1976年にはニューヨーク・ロケによる「メイド・イン・イラン」を監督。イスラム革命後の『駆ける少年』(86)、『水、風、砂』(89)で2作連続してナント三大陸映画祭グランプリを獲得し、イランを代表する映画作家としてその名を世界にとどろかせる。
その後アメリカに移住し、1993年に念願のアメリカ映画『マンハッタン・バイ・ナンバーズ』を監督、同作品はヴェネチア映画祭で上映され、日本でも劇場公開された。この『マンハッタン・バイ・ナンバーズ』と、1997年のカンヌ映画祭「ある視点」に選ばれた「A.B.C. マンハッタン」、2002年の東京フィルメックスで審査員の特別招待作品として上映された『マラソン』はニューヨーク三部作として高い評価を得ている。
ナデリ監督は無類のシネフィルであり、日本映画にも造詣が深く、親日家である。特に東京フィルメックスでは、2002年の審査員をはじめとして、ローマ国際映画祭でロベルト・ロッセリーニ批評家賞を受賞した『サウンド・バリア』(05)も、ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門でSIGNIS賞を受賞した『ベガス』(08)も特別招待作品として上映され、2011年には審査委員長を務めた。『CUT』(11)で念願の日本での撮影を果たし、第26回高崎映画祭特別賞、第21回日本映画プロフェッショナル大賞で海外の監督としては初の監督賞を受賞した。

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